Q1

 

Q . 政治家を志した理由は何ですか?

 

政治を変えずして、日本の未来はないからです。

 

民主主義のルールとして、選挙においてのルールは「投票」か「立候補」と考えています。残念ながら、私の選挙区に投票したい候補者はいませんでした。待っているだけでは政治は絶対に変わりません。このまま待っていては、日本は転落の道を歩き続けます。京都も例外ではありません。だからこそ、自分から行動することを決意いたしました。

 

また、会社員時代の経験も後押しをいたしました。大学卒業後は、株、債券、為替等のトレーディーング・システムを構築する会社に就職。2年目の春、あるプロジェクトで日本最先端のトレーディング・システムの構築を担当。それは、個人投資家向けに「CFD」という金融取引のシステムを構築するプロジェクトでした。

 

CFDとは、株、債券、為替、株価指数、商品先物などのありとあらゆる金融商品を「差金決裁」という仕組みで、ひとつのお財布(ポジション)だけで取引が出来る最先端の金融取引です。日本の金融市場にイノベーションをもたらす、このCFDのプロジェクトの立ち上げを耳にしてからは上司への作業報告の中でこのプロジェクトの担当を毎晩のように要望。そして、念願かなって、このプロジェクトのメンバーとなることが出来ました。プロジェクトでは、個人投資家がマルチ・アセットに投資できる時代を夢見て、取引の仕組みについて、連日連夜、議論を重ねておりました。

 

しかしながら、プロジェクトには大きな壁がありました。金融商品の監督官庁が、金融庁、経産省、農水省と複数にまたがっていたのです。つまり、株式などは金融庁が監督し、貴金属などの商品市場は経産省が監督し、農産物などの商品市場は農水省が監督だったのです。そして、縦割り行政の弊害をものの見事に受け、複数の金融商品を同時に取り扱う取引を規制するルールが成立。プロジェクトの構想ではひとつのプラットフォームで世界中の金融商品を取引できるようにシステムを構築する予定でしたが、結果的には取引対象の金融商品は株式と株式指数のみとなりました。金融市場へのイノベーションを夢見ていたにも関わらず、縦割り行政により、その夢はぶち壊されました。その頃から、私の行政への不満はふつふつと高まっていたのです。

 

その怒りから約1年後、地域政党「京都党」の構想を知り、私は京都からの政治改革に立ち上がることを決意いたしました。京都はもっともポテンシャルがあるまちです。歴史、文化、伝統、産業、大学、全てあります。しかし、そのポテンシャルが十二分には発揮されておりません。京都は幾度と歴史の中心となりました。21世紀の新しい都市のかたちは、この京都だからこそ、発信することができます。京都から再び歴史を開墾する、その覚悟で立候補を決意いたしました。

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