【京都党南区】京都市会議員 中島たくやのプロフィール

中島拓哉のプロフィール

中島 拓哉(なかじま たくや)プロフィール

中島 拓哉(なかじま たくや)

昭和58年12月13日生まれ(本籍地 京都市南区唐橋)

南区唐橋在住。唐橋消防団員。大宮社青年会幹事。

平成20年3月、同志社大学政策学部卒業。

趣味:散歩。本を読んでは、ぶらぶら歩きながら、「まちづくり」とか「人生」とか「何して遊ぶか」などを考えております。

好きな食べ物:たこ焼き

●両親ともに京都生まれの京都育ち。
中島 拓哉(なかじま たくや)家族写真 父は唐橋小学校、八条中学、洛陽工業高校を卒業し、ホームセンターのニックで働いていました。西京区樫原生まれ育ちの母と結婚。そして滋賀県の彦根市に転勤し、昭和58年12月13日、私が生まれました。そのまま小中高は滋賀県の公立高校に通学。大学で同志社に入学し、京都に戻って来ました。当時は大学すぐそばの家賃2万円の風呂なしの町屋に住んでいました。
●おばあちゃんの家を唐橋と呼んでいます。
松尾大社のお祭り 中島家ではおばあちゃんの家に行くことを「唐橋に行く」と呼んでいます。松尾大社のお祭り、盆、正月は中島家3兄弟の家族が唐橋に帰ります。ゆくゆくはおばあちゃんの家に住もうと考えていたものの、就職先は東京。金融のシステムを構築するベンチャー企業(東証1部)で文字通り、寝食を忘れて仕事に打ち込んでいました。
●平成20年3月同志社大学政策学部卒業
政策学部一期生。大学時代は、自治体の企業誘致政策やふるさと納税などの自治体活性化の研究に取り組む。補助金バラマキ型の行政運営に限界を感じる。
●平成20年4月シンプレクス・テクノロジー(東証1部)入社
生き馬の目を抜くとも言われる最も変化の激しい業界で自らの限界に挑戦したいという思いから、ハイテクベンチャーに就職。コンサルタントとして、寝食を忘れ業務に没頭。大手銀行、大手証券のシステム開発を数多く担当。
●立候補をするきっかけ
中島 拓哉(なかじま たくや)きっかけ 金融は法律でがんじがらめ。新しい取引をはじめるとすぐに規制するルールが作られます。大手証券会社と一緒に計画していた、日本ではじめてのプロジェクトもそのおかげでとん挫。日夜の議論がすべて水の泡。そんな中でどんどん政治や行政に対する怒りが大きくなりました。そこで出会ったのが京都党。京都こそ新しい政治を作れるはず。そう思って会社を飛び出しました。
●平成22年9月同社退社
充実した社会人生活を送るも、経済の限界を感じる中、前京都市議の村山祥栄氏と出会い、京都市政のために情熱を注ぐ姿に感銘を受ける。地域政党京都党の構想に賛同し、結党に参画。幼少期よりお世話になっている京都市に貢献したい思いから退職。京都党の南区支部長に就任し、朝から晩まで南区中を自転車で駆け回る。
●平成23年4月
中島たくや委員会 京都市会議員選挙に初当選。支援組織のない中に多くの市民の皆様にお支えを頂く。当選後はまちづくり委員会副委員長に就任。市民から信頼される市会議員、効率のよい行政を目指して、行財政改革を徹底追及中。